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道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である(144号 2006年9月)
小学校の校庭にあった薪を背負いながら本を読んで歩く少年の姿の像を覚えていますか?
そうです。幕末の頃、各地の財政再建や農政改革に取り組んだ二宮尊徳(金次郎)さんの像です。二宮尊徳さんが残した多くの名言の中に「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」というのがあるのでご紹介します。
昨今、エレベーター事故、公営プール事故など、新聞紙上で大きく取り上げられた事件には共通点があるように思います。キーワードは「ずさんな管理体制」。一見、何の関連性もないように見えるふたつの事故は、どちらも指名競争入札による価格最優先の業者選定がおこなわれていました。そして、公営プールの事故などは人件費を抑えるためか監視員がアルバイトばかりという異常事態に陥ってしまっていました。
これこそが「道徳なき経済は犯罪」だとは思いませんか。過度な価格競争の末、安全確保のために費用をかけることをしなくなり、すべてをアルバイトですませてしまう。結果、安全性が損なわれ「業務上過失」という罪を犯してしまう。また、「行政側の対応に問題がなかったかどうか」も疑問視されています。経済性が伴わない状態で、行政側が受託業者にいくら「安全性に注意してくださいね」と言ったところで馬の耳に念仏、 まさに「経済なき道徳は寝言である」ではないでしょうか。責任の所在が明確になっていない安易な民間委託が問題をここまで大きくしたとも言えます。
子どもの頃に学校で見た二宮尊徳さんの像が、最近あまり見なくなったような気がします。二宮尊徳さんがどんな人かもわからないながらも、薪を背負いながら本を読む姿を見て、わたしたちは何かを学んできたのではないでしょうか?
…と、ここで筆を置くつもりでしたが、8月8日の日経新聞にこんな記事があったので紹介します。
「役所と民間企業のどちらが公共サービスの担い手にふさわしいかを入札で競う市場化テストで、政府が来年度から始める対象事業が明らかになった。…」
市場化テストとは、「役所」と「民間」が公共サービスのコストやサービスで競い合い、優れた方が落札するという「官民競争入札」とも呼ばれている仕組みで、来年度から本格実施の予定だという。
ここで考えていただきたい。「民間」で出来ることを「役所」がおこなう必要があるのだろうか。また、「民間」では難しい事だからこそ「役所」でおこなうべきなのではないか。
日本資本主義の育ての親と言われる渋沢栄一さんは「片手に論語、片手に算盤」という至言を残している。「なぜ民間企業でやるべきなのか?」、「なぜ行政機関でやるべきなのか?」を考えれば「官民競争」なんていうおかしな話にはならないのではないだろうか。
最近は「酸素入りの水」が手放せません。
なにしろヘモグロビンが少ないもので…ピンチ!
そうです。幕末の頃、各地の財政再建や農政改革に取り組んだ二宮尊徳(金次郎)さんの像です。二宮尊徳さんが残した多くの名言の中に「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」というのがあるのでご紹介します。
昨今、エレベーター事故、公営プール事故など、新聞紙上で大きく取り上げられた事件には共通点があるように思います。キーワードは「ずさんな管理体制」。一見、何の関連性もないように見えるふたつの事故は、どちらも指名競争入札による価格最優先の業者選定がおこなわれていました。そして、公営プールの事故などは人件費を抑えるためか監視員がアルバイトばかりという異常事態に陥ってしまっていました。
これこそが「道徳なき経済は犯罪」だとは思いませんか。過度な価格競争の末、安全確保のために費用をかけることをしなくなり、すべてをアルバイトですませてしまう。結果、安全性が損なわれ「業務上過失」という罪を犯してしまう。また、「行政側の対応に問題がなかったかどうか」も疑問視されています。経済性が伴わない状態で、行政側が受託業者にいくら「安全性に注意してくださいね」と言ったところで馬の耳に念仏、 まさに「経済なき道徳は寝言である」ではないでしょうか。責任の所在が明確になっていない安易な民間委託が問題をここまで大きくしたとも言えます。
子どもの頃に学校で見た二宮尊徳さんの像が、最近あまり見なくなったような気がします。二宮尊徳さんがどんな人かもわからないながらも、薪を背負いながら本を読む姿を見て、わたしたちは何かを学んできたのではないでしょうか?
…と、ここで筆を置くつもりでしたが、8月8日の日経新聞にこんな記事があったので紹介します。
「役所と民間企業のどちらが公共サービスの担い手にふさわしいかを入札で競う市場化テストで、政府が来年度から始める対象事業が明らかになった。…」
市場化テストとは、「役所」と「民間」が公共サービスのコストやサービスで競い合い、優れた方が落札するという「官民競争入札」とも呼ばれている仕組みで、来年度から本格実施の予定だという。
ここで考えていただきたい。「民間」で出来ることを「役所」がおこなう必要があるのだろうか。また、「民間」では難しい事だからこそ「役所」でおこなうべきなのではないか。
日本資本主義の育ての親と言われる渋沢栄一さんは「片手に論語、片手に算盤」という至言を残している。「なぜ民間企業でやるべきなのか?」、「なぜ行政機関でやるべきなのか?」を考えれば「官民競争」なんていうおかしな話にはならないのではないだろうか。
最近は「酸素入りの水」が手放せません。
なにしろヘモグロビンが少ないもので…ピンチ!
※月刊リサイクルデザイン144号(2006年9月)、145号(2006年10月)に掲載。